自宅療養7日目

今日で政府に定められた療養期間は終了。しかし仕事へはさらに6日後から復帰するようにと今朝電話で伝えられ、「するべきことが何もない時間」が予想よりも長く目の前に現れてしばし呆然としてしまう。職場に中途半端に残してきた仕事を誰かが肩代わりしてくれていることや、今家でぼんやりしている自分から預けられた仕事を、復帰した自分が泣きそうになりながら必死で捌くことを想像するとなるべく早く仕事に戻りたいが、どうしようもない。そして、毎日ぎりぎりで働いてきた流れが急に断ち切られたことで、もう全部がどうでもよくなって、私は全て投げ出して動くのをやめてしまうのではないかという恐怖が微かにある。しないけど。

 

毎年、たいして強い意思もなく抱負を掲げてはいて、今年は「考えてもどうにもならないことに思い悩まないこと」としたが、そんなことが可能であった日は去年までも今年に入ってからもない。アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが説教で口にしたという祈りをたまに思い出す。

 

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。       ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

 

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,

and wisdom to distinguish the one from the other. 

                   Reinhold Niebuhr

 

私に変えることのできるものはほんとうに限られていて、それが分かっていても、変えることのできないもののことをただ考えては人生の4分の1くらいの時間が無駄になってきたように思う。なるべく早起きして、掃除や洗濯をして、運動をして本を読んで、ごはんを作って食べて、新しい鉄フライパンのことを考えるのをとりあえずやろう。