2023年5月18日

4月から、同じ病院内の、生命の危機があり死に近い患者がより多くいるフロアに配属になった。将来的に携わりたい分野のことを考えて自ら希望をし、全身状態の不安定な患者と関わることも理解はしていたが、当然のことながら、理解していることと実際にその場で働くことは別物である。

 

2ヶ月足らずの期間で担当していた患者が数名亡くなったこと。そうでない患者も病状や体調は安定せず明日また会えるかどうかの不確実性が高いこと。安全性の高い方法をとるか、それとも多少のリスクがあることは承知したうえで、生活の質がより高くなるであろう方法をとるかを専門職として選択するべきときに、どちらが最適であるのか分からず迷い続けていること。そもそも患者の状態を適切に評価できておらず、情報を見落とした結果、間違った対応をしているのではないかということ。必要に迫られ、ナースステーションにいる忙しげな看護師に話しかけた際に「それ今じゃなくてもいいですよね!」とすごい形相で言われた後に、担当患者のバイタルを測ったり食事の準備をしながらそれらを思い、いつか私は誤ったことをして、それが患者の死期を早める一手となるのではないか、私の選択や知識不足、技術不足、不注意のせいで、本来そこにあるべきであった患者の生活が損なわれてしまうのではないかという恐ろしさでいっぱいになり自分が制御できず、職場で泣くのは望ましくないことは重々承知しているが、静かに泣いた。

 

私が無音で涙を流している間に何やら隣のベットが騒がしく、看護師 3人ほどが「髪の毛洗ったらさっぱりするからね、行きましょうね」と説得する声と、「嫌やー!やめろー!」と絶叫する男性の声が聞こえ、続いてゴツッという鈍い音と「大丈夫!?」という声がした。慌てて隣のベットに行くと、暴れる患者を庇う格好で、看護師長が壁に思いきり頭をぶつけたようだった。誰も怪我をしていないことを確認し自分の担当患者のところに戻った時には冷静な気持ちで、涙も引いていた。看護師はその患者をお風呂に連れていくことを一旦は諦めたようで、隣のベットから男性が千昌夫の「星影のワルツ」を歌う声が聞こえる。

 

星野源オールナイトニッポン』にて、いい加減なことをしたときに「ええんやで」と自分を許してくれる「マイ善晴」を出現させるとよいという話題があったが、私も「ここにいてもいいのか」と問うとき、木皿泉のドラマ『富士ファミリー』のマツコロイドを出現させ、「ていうか、もういるし」と言ってもらうといいのかもしれない。そう、もう私はここにいて、物事は動いているからには、自分にできることをやっていくしかないのは分かっている。

 

2023年4月27日

平日休みが多い仕事に就いているのだが、昼間に会社員に混じってオフィス街を散歩したり、ランチを食べたりすることが結構好きだ。今日も掃除や洗濯、仕事の調べ物や書類作成などをしたあとに散歩に出かける。

 

堺筋本町から北浜にかけてのエリアを歩くのは特に好きで、晴れた日に東横堀川沿いの道を歩いていると、あらゆる不安がその瞬間には遠ざかる。FOLK old book storeにて、くどうれいんの『わたしを空腹にしないほうがいい』を古本で購入し、珈琲専門店リヴォリに寄る。リヴォリは大阪で私が一番好きな喫茶店で、サイフォンで淹れられた濃いめのコーヒーや、ドリンクにトッピングが2種類選べる厚切りのトーストと茹で卵がついてくるモーニングも魅力的であるが、ランチの週替わりメニューが私の中でリヴォリの存在を特別なものにしている。頂いた手書きのメモによれば、しらすとトレビス・ミニトマトのオープンサンド、鶏胸肉のハム 大根おろしの香味ソース、新玉ねぎのポタージュ、キウイドレッシングサラダが今週の週替わりメニューであり、ワンプレートに美しく盛り付けられたこれらにドリンクと茹で卵がついて980円である。毎回遊び心があり季節を感じられるメニューで、5月8日からは1200円に値上がりするそうだが宜なるかなというか、このクオリティのランチをこれまで1000円以下で提供するために成されていた努力や心意気を思うと頭が上がらない。今日も未知の味でありながら最初から最後までひと口ごとに「おいしい…」と感動していた。コーヒーを飲みながら、鞄に入れていた夫の『スキップとローファー』を少し読んで店を出る。

 

スーパーにてアジが安かったため購入し、アジの唐揚げと切り干し大根の煮物を作って、『ストレンジャーシングス シーズン4』の最終回を観ながら夫と夕食を食べる。食後に夫が会社で貰ったという甘栗を食べていたら、私の顔を見て「栗に似てるね」と言われ、嫌そうにしたら「桃に似てるね」と言われた。桃の方が若干嬉しいがどちらにも似ていない。

 

 

 

 

2023年3月22日

諸般の事情により、特に何があるという訳でもない水曜日に有給を取得することとなり、サービスデーを利用して映画を観にいく。最近は、自転車で走る道から見える範囲だけでも、木々の枝に白や桃色の部分が毎日増えている気がする。職場の最寄り駅そばの木も桃色の花でいっぱいになっていて、先日職場の上司に桜が咲いていたと話すと「あれはアーモンドの花ですよ」と言われた。これまでの数年間、桜だと思って見てきた木がアーモンドであることを今年初めて知る。映画館に向けて自転車を漕ぎながら、眩しさや花粉やその他よくわからないもののせいで、左目から涙が出てくる。

 

『ケイコ 目を澄ませて』の岸井ゆきのはあまりにもケイコという人間で、他の作品などで知っていた彼女と同一人物であることがちょっと信じがたい。街も人の体もこんなに美しく造形されていたのか。観終わってからもしばらくは、音楽やラジオではなく生活音を聴いていたい気持ちになる。

 

自宅に帰ってからも作中の風景が思い出され、屋上に出て街を眺める。今住んでいる部屋はマンションの最上階である5階にあり、屋上の鍵も渡されている。屋上が使用できることを知ったのは入居してからで、屋上で眠ったりご飯を食べたりしようと思ってレジャーシートも購入したが、コンクリートの地面は夏は熱く冬は冷え、数える程しか屋上に出たことがない。入居日の深夜にぬるい空気の中アイスを食べたことと、部屋に遊びに来た幼なじみのギャルが、酒を片手にやたらと絵になる自撮りをしていたのが、屋上での思い出のほぼ全てだ。喫煙習慣でもあれば屋上を有効に使えるのかもしれないが、色々と面倒なので今更煙草を始めることはしないだろうなと思う。日が暮れかける時間はまだ肌寒く、今日も長居することなく部屋に戻る。

2023年2月4日

用事があり西成を訪れた際、kioku手芸館たんすに初めて立ち寄る。西尾美也さんと地域の女性たちが作ったNISHINARI YOSHIOの服はコラージュにも似ていて、私のイメージの範疇にある服では共存し得ないパーツや素材が配置され調和している。格好良い。

 

大阪関西国際芸術祭の会期中ということで、写真展と古着をリメイクするワークショップも開催されていた。服をみたら帰るつもりでいたが、ワークショップで使用する沢山のはぎれやアフリカの布から切り取ったという素材があまりに魅力的で、ワンコインで参加できるということもありやってみることにした。

 

近所に住んでいると思われる小学生ぐらいの子供たち5、6人に混ざり、リメイクする古着と使用するはぎれを選ぶ。それぞれの布の断片はどんな服であって、どのような持ち主とどこに行ったのかぼんやり想像しながら、はぎれを古着に縫い付ける。

 

ふと図工の時間を思い出す。周囲から浮かないかどうかを気にして制作するような小学生だったため、今の方が楽しい。20年前の私、大人になったあなたは、右袖に目玉のついたセーターをつくったりしているよ。

 

 

2023年1月27日

スタンダードブックストアで開催された、赤染晶子さんの『じゃむパンの日』刊行記念トークに行ってきた。外は寒く、書店の中は暖かい。

 

『じゃむパンの日』をより楽しみたかったことや、個人出版社のpalmbooksに興味があってということもあるが、ゲストの津村記久子さんが喋っているのを聞きたかった。一時期、職場で使用している手帳の最後のページに、津村さんの『職場の作法』で田上がノートに書いている文章を書き写しており、仕事中に「助けて」と思った時などにエレベーターやトイレの中でそれを読んで深呼吸していた。そういうこともあり恩義を感じている津村さんは、その著作のように軽快かつ信頼のおける話し口で、それを伝えられる機会はなかったが、好きです、ありがとう…と念じていた。

 

赤染晶子さんのエッセイは、そのひとつひとつが優れた短編小説のようだと津村さんが話していた。確かにそれを読んでいると、世界はこういう場所であってほしい、いや私には見えていないだけで、本当はこんなに優しく可笑しい場所なのかもしれないと思えてくる。それは赤染さんの観察眼や想像力や文体、愛のある装丁、それから何によるものだろう。

 

買って帰ったパンデュースの特製じゃむパンを食べ、熱いシャワーを浴びて眠る。

 

 

 

 

2023年1月21日

電車に乗って神戸市の塩屋に散歩に行った。人間よりも猿の数が多いような山奥の集落で育ち、近所の各家にどんな人が住んでいてどんな生活状況なのか、なんとなくお互いが把握しているような環境で高校までは過ごしていた。たまに街に来ることがあると、目に映る家々の窓の中にそれぞれの生活があるということが信じられないような、途方もない気持ちになっていたが、今でも乗り慣れない電車の車窓から景色を眺めたり、初めて訪れる場所を歩いているとそういうことが起こる。

 

塩屋を訪れたのは初めてで、ルートや目的地をほぼ決めずに散策したが良い散歩だった。海のそばの洋菓子店『シーホース』でケーキを買い、駅前の商店街を歩いていると漂ってきた匂いにつられて入った『ワンダカレー店』で揚げ野菜カレーを食べ、『シオヤチョコレート』でチョコレートを買いイラストマップを手に入れる。坂をかなり登った住宅地にある古着屋『tana clothing STORE』で私はパタゴニアのスウェット、夫はマグカップを買って、マップに乗っていた『塩谷のパルテノン神殿』を見に行ったりした。急勾配や、それに適応するように独自の進化を遂げた生き物のような家々が続き、歩いていて楽しい。

 

駅に向けて坂道を降っていると蔦に覆われた廃墟のような建築物が突然現れる。よく見ると、建物に続く橋の入り口には「営業中」「いらっしゃいませ」と書かれた真新しい赤いのぼりが立てられており、異質さが際立っていた。橋を渡ると『ライオン 酒』と書かれた手作りらしい看板があり、扉は閉まっているが人の気配がする部屋が建物内にあった。へえ、と思いもときた道に帰ろうとするが、夫が「行ってみよう」というので内心怯えながら入店すると、カウンターでおじいさんが一人でおでんを食べていた。おじいさんが店主のようで、コイン式の麻雀ゲーム機付き(今はもう動かないという)のテーブルに通される。おじいさんによると、『ライオン』は40年以上前から営業していて、かつては同じ建物に27のテナントがあったが今はこの店だけとのこと。300円のミルクコーヒーを飲みながら、3人でカウンター上のテレビで放送される大相撲初場所をぼんやり見ていて「実家?」と思う。50円でカラオケ1曲を歌えるそうで、夫に歌って貰えばよかった。

 

その町の上澄みみたいなものだけを味わっていることはうっすら自覚しながら、「いつかここに住もう」と軽い気持ちで思う、そういうことが大袈裟にいえば私の希望のひとつになっている気がする。

2023年1月8日

ガスコンロを使用しはじめたばかりだというのに、調理中にキッチンの壁を焦がしヒビまで入れてしまった。今回に限らずすぐに物を壊してしまうことがとても悲しく、世界に対して申し訳ない気持ちになっていたが、『高橋源一郎飛ぶ教室』でゲストの上野千鶴子が話しているのを聞き少し元気になった。上野千鶴子なら、誰も得をしないのに悲しくなり時間を無駄にするようなことはせず、必要なことをするだろう。とりあえずは大家さん(LINEのアイコンはでかい虎とのツーショット)に伝えて火災保険の会社にも問い合せたので、補償されることを願う。

 

夜はNetflixミランダ・ジュライの『さよなら、私のロンリー』を観る。私は踊るのが好きだが、人が踊っているのを見るのも同じくらい好きだ。オールド・ドリオの美しく不格好なダンスを、これから何度も頭の中でお守りのように再生するだろう。奇妙でありながらどういう訳か心を掴まれる瞬間がちりばめられていてよかった。