自宅療養2日目

一昨日から動く度に頭がずきずきと痛み、喉が突っ張る感じがあった。どうか気のせいであって欲しい、なぜなら働き始めて初めての正月休み、かつ結婚して初めての年末年始を控えている。

 

翌日の熱は36.9と平熱よりは高いものの職場の欠勤基準よりも低く、祈るような気持ちで出勤。年末で職員が少ないなか出勤することと、大事をとって休むことのどちらが大事なのかは冷静になれば明らかであるが、予定を変更することがおそらく人より苦手な私の性格も災いした。やはり、身体がいつもの勝手とちがう、しかし、過敏になっているだけか?という自問自答を数十回繰り返し、上長に体調を伝えられたのはその日の昼。一旦帰宅後に職場でコロナのpcr検査を受けることとなった。検査のその約30分後には電話で上長から陽性の報告。慌ただしく家族へと連絡し、自己嫌悪と自己憐憫の時間に突入。

 

年末だからと浮かれて人混みの中に出かけなければ、クーポンを手に入れたからって外でカレープレートを食べなければ、もっと早くに職場に体調を伝え休んでいれば。そして、なぜ、今この時期なのか。夫が友人や親族と会う機会をふいにした。患者や職場の人を危険に晒した。正月には久しぶりに親戚が集まり父の還暦を祝う予定があったのに。そしてコロナ禍になりほとんど会えていない一人暮らしのおばあちゃんにまた今回も会えない。考えると涙が出てくるが、わざわざ帰宅した夫が分かるように泣くのが私のいやらしいところだ。

 

翌日は布団に潜ったままスマートフォンで「コロナ 患者 感染させた」「コロナ 後悔」など調べてぼんやりと記事をみるが、一体どんな答えを求めているのか自分にも分からない。

 

そんな大晦日の灯火となったのが、堀静香さんの「せいいっぱいの悪口」だ。こんな思いをしてるのは自分だけだと孤独や薄っぺらい絶望を感じるとき、あなたの孤独や絶望はあなただけのものという前提で、美しい筆致で私の知っている感情を書いている。 

 

 

私もこうしてすぎてゆく日々を、どうしようもない後悔も人の優しさに涙が滲んだことも、忘れたくない。そう思って28歳にして生まれて初めてブログを書いている。とりあえず今日は、夫は年末年始が自宅にこもりきりになったにもかかわらず文句のひとつも口にせず、同じ家で部屋を別にしての隔離生活で顔を合わせるタイミングがあれば、萎んだ私を奇妙なダンスで笑わせようとしてくれたことを記録しておく。夫に口頭で作り方を伝えた卵スープは、どうやったのか知らないが卵が細かいつぶつぶになっていて、ミモザの花のようだった。