自宅療養3日目

記憶にある元旦はいつも晴れている。コロナの自宅療養2日目の今日もそう。カーテンを全開にした窓から一日中同じ空を見ている。

 

コロナの症状としては、おそらく昨晩のまれにみる強度の腹痛とそれに続く下痢や悪寒がピークではないかと思われる。そして、一番安心したことは、接触した患者さんは今のところ陰性であること。それを聞くまで昨日は吐きそうで、気を紛らわせようと読む本や記事も、文字の上を目が滑っていくようだった。

 

とはいえ、そうであったかもしれない現在や未来のことを考えずにはいられない。夫やその母、兄と、年が開けてすぐの真夜中に和歌山の海辺の道を「星がきれいやね」と言いながら歩く時間、病院で担当患者や同僚と「良いお年を」「あけましておめでとう」と決まりきった挨拶を交わす時間、私の実家で父が還暦祝いのパジャマを着ているところをみたり、こたつで大富豪をする。そんな架空の時間の映像が頭の中に浮かんでは消える。

 

「行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか」とは坂本裕二脚本の『カルテット』ですずめが口にする言葉であるが、果たしてそうなのか。すずめさん、私の脳内にあるだけで実際には起こり得なかった思い出や景色も、触れたり網膜に写したものと同様に美しいといつかは思えますか。あちらを選ばなかった、選べなかったから手に入れた時間があり、待ち望んでいた時間も期待通りになるとは限らないことも本当は分かっているけれど。

 

散歩に行く夫に頼んで、目にした風景の写真を撮ってきてもらった。あの公園でも、別の公園でも子供たちが凧を飛ばしている。